現在は世界中の誰もがこのようなコロナ渦でのパンデミックは予想していなかったはずです。感染は免れていてもライフスタイルの大幅な変化を余儀なくされた方は相当いらっしゃると思います。勿論逆に巣ごもり生活やテレワーク定着などで潤った業種もあるかとは思いますが、人が移動しないので交通、観光、外食などはダメージを受けて倒産に至る企業も増えていると思われます。
 ほんの半世紀を遡れば都内でもまだサラリーマン家庭は非常に稀だったと思います。近所の商店街の子供たちは非常に同世代の子供が多かったですし、商店街でなくても住宅地にも個人商店がかなりありました。みなさん自身で商店を営みむのが当たり前の時代だったのです。我が家も例外でなく住宅地の中で個人商店を営んでいました。年々70年代にかけて個人商店が減っていく中でも当店は低収入ながらも廃業せずに母親のパートで持ちこたえていたと思います。商売といっても通常の小売店は所謂営業(宣伝)活動はしていないと思います。近所の顔馴染み客のみが訪れる商店が普通でした。故に薄利多売の有名チェーン店のスーパーマーケットが増えていくと小さな商店や個人規模のスーパーマーケットは消えていく運命なのは仕方ない事でしょう。しかし我が家の商売は普通の小売店とは違い毎年お得意様に宣伝活動をしていました。単価の高い商売でしたのでお客様は会社の社長様や年収の高い事業主様がほとんどだったと思います。幼少時は何回かお得意様の個人宅のお宅まで納品に同行した事もあります。お客様のお宅の自家用車がベンツだったりして、富裕層をターゲットにしていた商売なのでした。ある秋の深まる時期に毎年恒例の翌年のカレンダー送付の時期になり、父親がお得意様名簿で大きな封筒に宛名を書いていっていました。こちらも屋号が印刷されたカレンダーの袋詰めなどを姉と手伝っていました。いかにも家庭内産業という感じの家庭なのです。この袋詰めの最中の中学に進学した姉が正論を突然言い出したのです。袋にはすでに送付先の住所が書かれていましたが、その住所は我が家の道沿いを真っ直ぐ1㎞弱進んだだけの姉の同級生の家だったのです。姉の一言はストレートでした。「XX君の家にカレンダー送ってももう仕事来ないので無駄じゃない!」そうなんです。個人商店が消えていった時代でしたが、このXX君のお父さんは会社の社長さんでした。ゆえに我が家のお得意様の一人でしたので毎年宣伝用カレンダーを送っていたのです。しかし生徒の中ではXX君のお父さんの会社は倒産してしまったのが知れ渡っていたのです。株式会社の平均営業期間は意外と現在でも短いものなのです。会社同士が切磋琢磨して競っていき勝ち抜いた会社だけが生き残っていく事で経済や社会はより良い物になる訳で、倒産は成長に欠かせない出来事です。お得意様の会社が倒産してしまったのは多分父親には情報が入っていなかったと思いますが、そのまま宛名書きしたカレンダーを郵便局に持ち込んで送付しました。それから後にXX君の家庭は引っ越してしまっていました。立派な一軒家は建て替えられて流行りのワンルームアパートになってしまいました。今でも近所ですのでこのXX君のお宅があった道路を年中通りますが、建物は建て替わっても未だにアパートになっています。こんな感じで我が家の商売も新規のお客様一切増えないで年々お得意様が減っていく運命で晩年は年々下請けの仕事が増えていたようでした。でも年々年を取るのは誰も同じで仕事が減るのは自然の摂理で悪い事でもなさそうです。

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 向山庭園の石垣の下から事務棟を見上げた光景です。有料でいろいろなイベントを開催しているようです。