国の文化や地域の文化それに個人的好みもあり各家庭はそれぞれ個性を持っていると思います。しかし幼少時はみなさん自分の家庭しか知らないので成長と共に他の家庭との違いに気付いて行き、自分の家庭の方が他の家庭と随分違っていた事が後に判明する方も非常に多いと思われます。
 我が家の朝食は60年代から朝食はパンが主流でした。おまけに普通のトーストだけでなく牛乳と玉子を解いて混ぜたものに砂糖を加えた(プリンと同じ材料)を食パンに浸して焼いたフレンチトーストも朝食に並ぶ日もありました。今はお米離れを叫ばれてから何十年も経ちますが、我が家では物心ついた時からパンを日常的に食べていたのです。当然トースターも当時では珍しかったと思いますが日常的に使っていました。2枚焼で焼きあがるとパンが飛び出すタイプではありません。一度に4枚焼けるタイプで片側しか焼けないのでひっくり返す必要があります。これは戦前に渡米していた祖父が欧米文化を一気に持ち込んだ事に由来しているハズです。欧米文化は朝食だけではありません。日曜には教会へ毎週行っていましたし、我が家の商売も和服の時代から洋服の時代へ変化させる欧米文化の商売だったのです。日本がお米主体の国で仏教が中心の国である事は後に知ったもので我が家の方が稀な家庭なのでした。欧米文化以外にも他の家庭と違ったものがありました。幼少時は置き薬の交換に半年に一度、富山の置き薬の方が来ていました。お茶の間にはとろろ昆布が日常的に買い置きされていました。さらに正月には華やかなお節料理を毎年作っていましたが、定番のお節の中に紅白のカマボコ以外に昆布を巻いた巻きカマボコもありました。これらはすべて祖父の出身地の富山の文化だったのです。生まれる前に祖父は既に他界していて、両親とも東京生まれ東京育ちで祖母も東京生まれで東京育ちだったので世間はこれが常識と思っていましたが、一般的に小売されている食品も地域文化の影響があった事が後で分かりました。しかし今やチェーン店のドラッグストアが乱立している時代です。置き薬もなくなりとろろ昆布も食べる習慣は一切ないので富山の文化は全く引き継いでいません。しかし仏教の考えは一切身についていませんので他人の家庭に普通にある仏壇を初めて見た時は何をするのか何の目的でこんな奇抜な物が置いてあるのかが理解できませんでした。仏壇に魂が宿る感覚は今も全然ありません。故に神社などのお参りをする習慣も一切無く信仰心とは一切無縁です。合理的、理論的にしか物事は考えません。

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 小金井公園の東側は昔は雑木林しか無かったイメージでしたが、スポーツ施設が充実していました。これは野球場ですね。