今では大規模なアトラクション施設が東京ディズニーランドやUSJなど各地にあります。遊園地なる言葉が登場してから我が家で一番身近な存在だったのが後楽園遊園地や読売ランド、向ケ丘遊園ではなく何と言っても今は無き豊島園なのです。専用の駅がある今の西武園球場のような西武鉄道の利用客を増やすための施設だったのが電車オタクとして印象的でした。当時は一時有名になった流れるプールもありません。全然繁華街でもなく練馬の住宅地にあるシンプルな遊園地と記憶しています。ただ貧乏家庭の我が家では家から比較的近い遊園地なのに入園料のかかる遊園地に家族で行った事は一度もありませんでした。家族での行楽は山梨の田舎へ行くか御岳山や高尾山のハイキングで入場料の無い交通費だけで済む行楽が通常で基本的に無駄な出費はほとんど記憶にありません。という訳で行った経験がないのでアトラクション自体の興味が小学生の高学年ではもう全然興味も持っていませんでした。ところがある日、母親が意外な事を言ってきました。「いっしょに豊島園行かない?」はっきり言って遊園地自体に興味はありませんでした。幼少時は某デパートの屋上で何かのアトラクションに乗った記憶がありましたが、こんなもの乗っても今更面白くも何ともありません。それも姉がいたので母親と二人だけで遊びに出かけた事も一度もありません。全然乗り気ではありませんでしたが、誘った理由を聞いたら単純明快でした。どうやら新聞店か何かで二人分の無料入場券を頂いたのです。母親自体もアトラクションを楽しむ性格では全く無いのですが、貧乏性の性で貰ったものは使わないと勿体ない精神から無駄にしたく無かったのが明らかでした。どうせなら姉と行けばいいものなのに、既に中学生になった姉は部活動や友人との付き合いなどで今更母親と遊びに行く事に時間を割けなかったようです。という訳でどちらも遊園地などには全然興味ないのですが、もう半世紀前ではありますがこの時母親と二人で豊島園に初めて入場しました。しかしながら元々興味が無かったのでジェットコースターにも乗っていないと思います。何のアトラクションを利用したのか全然記憶がありません。おまけにお金のかかるアトラクション自体に無駄金としか感じません。あまり長居しないで帰ってしまった感じで帰りがけの買い物の方がメインという感じでした。そのうちまた来る機会もあるとその時は思っていましたが、結局その後一度も来園しないまま豊島園は閉鎖されてしまいました。豊島園の記憶は施設の記憶では無く、母親と二人で外に出かけた唯一の記憶に他なりません。

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 小金井公園の雑木林の中に塔のオブジェが広い敷地の中で1つだけありました。