十代最後のアルバイトは臨床検査会社での内勤アルバイトをしていました。お陰で医学会の一部が見えてきました。毎日ほとんどの病院で血液をはじめ、尿、便、病理などの検査を行ってその結果を依頼元の病院、医院へ届けています。大きな病院は院内で検査できるでしょうが、小さな町医者でもこの臨床検査会社は大きな役目を担っている事が内勤アルバイトでも実感できました。そして20代になってからは別の臨床検査会社で今度は病院、医院回りの検体回収ルート配送のアルバイトを始めました。会社も職種も以前とは違っていましたが、会社の業務内容は同じでしたのでそれほど違和感なく新しいアルバイトをすんなり遂行出来ました。毎日同じ病院、医院を回るので慣れてしまえば実に簡単なアルバイトでした。おまけに回っていたコースが都内の医院が密集していた地域では無くて、密集地以外の郊外の病院を集めたコースだったため他の同じアルバイトより断然1日の走行距離が長く、逆に回る病院数が少なかったので一番楽なコースだったと思います。都内の会社から埼玉の大宮、川越、狭山などを毎日ドライブ出来て、回収作業は一人ですので他人に気を遣う事も無いアルバイトで、将来性はありませんが結構楽しい日々が続きました。
 1年間続けたアルバイトでしたが、一度だけ緊急検体という報告が入りました。要するに自動車での回収ですので回収時間の短縮は不可能ですが、検体を社内に持ち込んだらすぐに検査を行って早急に結果を連絡してもらいたい検体でした。この緊急検体の依頼元の病院は埼玉県内の大きな緊急搬送も受け入れる病院で一般的な血算や肝機能検査などは病院内で検査している大きな病院です。院内で検査不可能な検査のみ依頼が来て毎日行く病院ではありません。この病院での依頼は血液を培養させるカルチャーボトルに血液を入れて、通常は冷やして検体を配送するのですが、カルチャーボトルは体温近くで培養させる為に温めて配送する特殊な検体でした。この病院での依頼はほとんどカルチャーボトルの検体が多かった病院です。そしてこの日も通常通りにルート回収で順番通りにこの病院へ向かいました。そして検査室へ向かい病院の通路を歩いていました。すると通路にストレッチャーに寝たままにお爺さんが置いてありました。すぐにわかりました。既に亡くなっています。まだ息を引き取って間もない感じで血色などの変化は感じませんでしたが明らかに呼吸はしていません。そしてその先の検査室で声を掛けました。「XXです。緊急検体の引き取りに伺いました。」すると予想通りの返答を頂きました。「先ほど患者さんが亡くなってしまったのでキャンセルです。」予想通りでした。検体の主は通路のお爺さんでした。病院では結構日常な事なのでしょう。人もほとんど物みたいでした。結構生死の分かれ目の検体がある事に初めて気付きました。アルバイト自体は簡単で楽しかったのですが、1年で辞めて正解だったと思います。

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 小金井公園の一角にも小さな屋外ステージになるような場所がありました。場所によってさまざまな区画になっています。