ここ1世紀から半世紀で生活に変化がないものは無いほどかわりました。水道も井戸だったし、トイレは水洗で無し、照明は裸電球からLEDに、洗濯板を使った手洗い洗濯は全自動洗濯乾燥へ、炭の掘り炬燵も使わないでオートエアコンともうすべて入れ替わっています。ただ昭和3年築の我が家にはかなりのものが現役で使ってはいませんが、未だに家には残っているものが沢山あります。冷蔵庫が無かった頃の保存食といえば漬物ですが、当時使っていた漬物石が残っています。おまけにこの石には金魚の墓とマジックで書いた記憶があります。もう自宅で漬物は作っていませんが冷蔵庫の無い時代の食生活は知恵が必要だった事でしょう。昔はクルミを買ってくると必ず殻ごと売られていたので食べる時はトンカチが必需品でした。しかし現在は殻ごと売られたクルミ自体を見かけません。便利になりました。味噌汁などの出汁には煮干しや鰹節が我が家にストックされていましたが今は出汁の素に置き換わっています。当時の鰹節は今のように鰹節状態で売られていませんでした。固いコチコチのカツオを自宅の鰹節削り器(カンナを上下逆に置いて下が受け皿の引き出しになっている。)があり食事の準備の際に母親に代わってお手伝いを偶にやっていました。もう一つ手間のかかったものがゴマです。現在は擦られたまま売られていますが、当時はフライパンで炒ってからすり鉢に入れてゴマを擦るのに力と時間を要しました。今でもすり鉢自体は残っていますが今後は二度と使うことは無いでしょう。それ以外にも炊飯器が無い時代の炊飯窯は当時見慣れていましたが完全に使わなくなりました。食卓回り以外には実はアイロンも珍しいものでした。一般家庭でアイロンが普及したのは電気式のアイロンだと思います。しかし我が家には商売柄アイロンが不可欠の仕事だったので生まれた以前から我が家にはアイロンがありました。なんとガス式のアイロンです。その名残で我が家には台所、仕事場、6畳の和室にまでガスが室内に配管されています。当時使っていたガスアイロンも残っていますが、予備に置いていたと思われる新品のガスアイロンもしっかり残っています。また多くの方は知らないと思いますが、戦後増築した2階にもガス管は引かれていたのですが、当時2階に置かれていた冷蔵庫は電気ではなくてガス冷蔵庫でした。現在の冷媒ガスのフロンガス(シクロペンタン)を圧縮して液化したガスの気化熱を利用するのではなく、アンモニアガスを熱してガス化してその気化熱を利用していたようです。ガス冷蔵庫はあまり普及しなかったと思いますが、当時は普通に家にあった家電製品です。今思えばまだ電気が無くても冷蔵出来る機能は何かに使えそうと思った次第です。

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 イメージでは小金井公園は雑木林が多いと思いましたが、雑木林の木々と低い植物の植え込み、芝生地帯の日向と日陰のコントラストが混在した場所を写してみました。通路の日向の散歩は秋には心地良さそうです。